銀河公共通信 // 特別取材班

底辺の呼吸

BREATHING AT THE BOTTOM — C66 LOWER DISTRICT EXPOSÉ

連合政府は惑星C66の「生活環境改善」に年間四百億クレジットを計上している。 その予算がどこへ消えているのか、我々は二週間の潜入取材で確かめた。 結論から言おう。消えた先は、配管の中だ。文字通り。

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ヴァレリア・チェン
銀河公共通信 社会部 特派記者

上層居住区第三ブロック出身。銀河ジャーナリズム大学首席卒業。 「弱者の声を届ける」を信条に十二年間のキャリアを積んできたが、 下層居住区への潜入取材は今回が初めてである。 取材中に星間挽肉バーガーを食べて歯が欠けた。

本記事は銀河公共通信の調査報道チームによる特別企画です。 取材対象者の安全に配慮し、一部の名前と場所は変更しています。 なお、チェン記者が取材中に撮影した映像資料の一部は連合政府より公開差し止め要請を受けていますが、 報道の自由に基づき掲載を継続します。
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序章:階を降りる

Descent — Into the Lower Tier

惑星C66は下層・中層・上層の三つの居住区画に分かれた階層社会である。 同じ都市の中に三つの世界が重なっている。区画のランクが上がるほど清潔で安全で退屈になり、 下がるほど汚くて危険で「自由」になる。 下層居住区は社会的に最も低い階層に位置し、連合政府の統治が事実上及ばない領域だ。 ただし誤解のないように付言しておくと、「下層」とは地下に潜っているわけではない。 同じ空の下、同じ大気を吸い、ただ生活圏のグレードだけが違うのだ。

下層居住区に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。 金属と汗と、何かが腐った甘い匂い。中層との境界はわずか二ブロックだ。 二ブロックで世界がここまで変わるのかと思ったが、後で聞けば「二ブロック」は 地理的な距離の話であって、社会的な距離で言えば光年単位だという。 なるほど、と思った。なるほど、としか言えなかった。
Fig.01 — 中層居住区(上)と下層居住区(下)──天国と地獄
×47
犯罪発生率(対中層比)
3 cr.
星間挽肉バーガーの価格
100+
年間ガリガリ転倒事故
0%
食品成分表の設置率

今回の取材は、ある犯罪組織の幹部の協力なしには実現しなかった。 アロンソ。ゴッチ・ファミリーの幹部で、四十手前の彫りの深い男だ。 ヤクザにしては知性の宿る目をしている。 取材協力の報酬として相応のクレジットを支払い、引き換えに彼は下層滞在中の我々の身の安全をある程度保証してくれた。 「ある程度」という言葉にある種の誠実さが宿っていた。全部は保証できない、という意味だ。実際、こういった取材中に殺されることもままある。私はサイバー・カラテの三段保持者だが、刃物や銃器、殺傷能力を有する念動力にどれほど対抗できるものだろうか。

Fig.02 — 取材班の記録機材。
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第一章:棲み処

Chapter I — Where They Live

下層の住居はその大半が、放棄された宇宙船のコンパートメントや廃棄コンテナを改装したものだ。 折り畳み式の寝台、天井を這う配管、壁のどこかから常に染み出す正体不明の液体。 空調は名ばかりで、温度と湿度の制御は住人各自の工夫に委ねられている。 連合政府が計上する「生活環境改善費」は、この実態のどこに使われているのか。

Fig.03 — 下層居住区の典型的な居住空間。廃棄コンパートメントを転用したもの。
アロンソ氏は「下層から出ていった人間の話をしてやるよ」と言った。 以前ここで育ったある男が中層に引っ越したとき、清潔な壁と錆びていない配管を見て アレルギー反応を起こしたらしい。清潔すぎて蕁麻疹が出たのだそうだ。 私はメモを取る手が止まった。上層育ちの私には、清潔さが不安の原因になるという感覚がわからなかった。
Fig.04 — 下層居住区の裏通り。配管の結露と漏水が常に路面を濡らしている。
「配管が錆びてないだけでありがたい、って感覚は……上層の記者さんには一生わからないだろうな」
確かに分からない。錆びているなら取り換えればいいだけではないか、と思う。だができない理由があるのだろう。ならばわからないということを正直に書くことが、せめてもの誠実さだと思うことにした。
🪲

第二章:ガリガリ

Chapter II — The Bugs That Eat Walls
⚠️
BIOHAZARD ADVISORY: C66環境衛生報告書 第七章 「甲殻類由来の滑走性排泄物に起因する家庭内転倒事故」—— 年間発生件数100件以上。管理政府は駆除を試みているが成果は限定的。

下層の朝は目覚ましではなく恐怖で始まる。壁をガリガリ齧る音。 「ガリガリ」と呼ばれる甲殻害虫は、下層居住区の事実上の「共同住人」だ。 黒くて大きくて素早い。そして死体の肉を食う。

Fig.05 — 甲殻害虫「ガリガリ」。壁面素材を食い破りながら移動する。名前の由来はその音。
「見た目も生態も最悪だが、焼けば食えるんだ。アンタも食ってみるかい?」       そんなアロンソ氏の言葉を最初はマフィアン・ジョークだと思っていたがそうではなかった。あんなものを食べねば下層の住民たちは生きていけないというのか。管理政府は合成肉を配給する余裕すらないというのだろうか。
甲殻害虫「ガリガリ」生態データ
正式名称 甲殻類由来の家庭内害虫(学名不明)
食性 壁面素材・有機デブリ・死体
糞の毒性 接触30分間の末梢神経麻痺
駆除状況 困難(毒餌耐性・壁食性)
取材三日目の朝、私はガリガリの糞を踏んだ。スリッパ越しだったにもかかわらず、足裏がじんわりと痺れた。 上層に帰ったら衛生局に報告書を出そうと思った。 後でアロンソ氏に言ったら、電子煙草の煙を吐きながら 「その報告書が何百枚たまってると思ってんだ、記者さんよ」と笑われた。
🍔

第三章:食えるもの

Chapter III — What Passes for Food

下層の飲食事情を調査するにあたり、まず衝撃的な数字を示さなければならない。 下層居住区で食品成分表を設置している飲食店の割合はゼロである。 これは「設置義務がない」のではない。「設置すると九割の店が営業できなくなる」からだ。

Fig.06 — 下層で最も人気のある屋台「ドン・ファッツ」。1日平均三千個のバーガーを売り上げる。

「ドン・ファッツ」は下層で最も人気のある屋台チェーンだ。看板メニューの「星間挽肉バーガー」は一個三クレジット。 安くて旨い。ただし、噛むとたまに「ジャリッ」と金属片が歯に引っかかる。

「食品偽装って言えばそうなんだが……じゃあ他に三クレジットで腹一杯になる方法があるのかって話さ」
Fig.07 — 廃棄タンパク質合成プラント。ドン・ファッツの「挽肉」の仕入れ元。
取材の一環として、私もドン・ファッツの星間挽肉バーガーを食べた。 正直に言うと美味しかった。不本意ながら二個食べた。 二個目で左の奥歯が欠けた。ステンレスの微粒子は生体不活性で健康被害はないそうだが、 それは歯に関する話ではないようだ。 帰還後、歯科医の請求書を見て、私はこの取材で最も激しい怒りを感じた。

「歯がいくら欠けたって腹が減るよりマシさ」

—— アロンソ、下層の審美観について

Fig.08 — 下層居住区の壁面。落書き、殴打痕、指名手配のホログラムが重なり合う。
🔫

第四章:法なき法

Chapter IV — Justice Without Courts
Fig.09 — 喧嘩の痕跡が残る路地
Fig.10 — ファミリーの「裁きの間」

犯罪発生率は中層の約四十七倍。だがこの数字は氷山の一角に過ぎない。 犯罪発生率は通報件数から算出される。問題は、下層では「通報する」という概念自体が機能していないことだ。

  
取材班が実際に警備局の下層担当窓口に問い合わせたところ、電話が繋がるまでに四十七分かかった。 応答した職員は「現在、下層居住区の案件については優先度に基づき対応しております」と述べた。 優先度とは何かと尋ねると、「上からの指示次第です」と答えた。上とはどこかと尋ねると、電話が切れた。 これが実態である。ここはまさしく無法地帯なのだ。
下層居住区の「法執行」実態
公的治安機関 事実上の機能不全
実質的秩序維持 犯罪組織(ゴッチ、ルード等)
紛争解決の速度 翌日決着
代償 「貸し」の累積(搾取構造)

下層において実際に秩序を維持しているのは、ゴッチやルードといった犯罪組織──いわゆる「ファミリー」である。 連合政府の法律の代わりに独自のルールで揉め事を裁く。裁き方は荒っぽいが速い。翌日には片がつく。 もちろんタダではない。対価として「貸し」が発生し、それが搾取構造の基盤となる。 アロンソ氏自身がその構造の一部であることを、彼は隠さなかった。

「俺たちは連中の代わりに人生ってやつを考えてやってるのさ」
搾取に合理性があること自体がこの社会の歪みの最も深い部分だと私は思う。 だがそれを声高に叫んだところで、明日の食事代は出てこない。 正義は腹を満たさない。なぜここはこんな事になっているのだろう。誰が悪いのだろうか?本人だろうか?社会だろうか?
💋

第五章:夜の生態系R-15

Chapter V — The Nocturnal Ecosystem
本章には性風俗産業に関する記述が含まれます。 事実を伝えるために必要な範囲で記述していますが、不快に感じる方はスキップしてください。 チェン記者は「これは報道の義務です」と主張しましたが、 個人的好奇心との境界が曖昧だったことを編集部は指摘しておきます。

下層居住区を語るうえで避けて通れない産業がある。異星種族間性風俗産業、通称「ナイトレーン」だ。 下層のE-7ブロックからE-12ブロックにかけて、半径三百メートルの圏内に約七十軒の性風俗関連施設が密集している。 連合政府の公式見解では「管理型歓楽施設」と分類されているが、実態は遥かに混沌としている。

Fig.11 — 下層居住区E-7~E-12ブロック通称「ナイトレーン」。異星種族向けの性風俗店が密集する。

特筆すべきは、ナイトレーンが単なる人間向けの風俗街ではないということだ。 惑星C66には多種多様な宇宙種族が居住しており、当然ながらそれぞれの種族に固有の生理学的欲求がある。 ナイトレーンはそのすべてに対応する——あるいは対応しようとしている——銀河でも稀有な場所だ。

「人間向けの風俗なんてどこにでもあるだろう。ナイトレーンが特殊なのは、メタノイド向けとかスライム系向けとか、ありとあらゆる種族のニーズに対応してるところだよ。需要があるから供給がある。資本主義の教科書みたいな場所さ。……うちの組もいくつかの店のセキュリティを請け負ってる」
ナイトレーンの取材は正直なところ、記者人生で最も困惑した体験だった。 私の知識の範疇を完全に超えている。スライム系種族向けの「浸透型リラクゼーション」が何なのか、 メタノイドの「磁場共鳴サービス」が具体的にどういう行為を指すのか、 私は理解できていないまま取材ノートに書き写している。  

ナイトレーンで最も繁盛しているのは「コズミック・エデン」というラウンジだ。 ここでは異星種族の従業員が、それぞれの種族の特性を活かしたサービスを提供している。

Fig.14 — 異種族向けラウンジ内部。水棲種族用の液体プール席、鳥類型種族用の壁面パーチなど、 あらゆる体型に対応した設備が混在する。
ナイトレーン 産業データ
所在 E-7~E-12ブロック
施設数 約70軒
対応種族 アースタイプ・スライム系・メタノイド・ベルトラン・カロリアン等
法的位置づけ 管理型歓楽施設(実態との乖離大)
推定年間売上 二億クレジット超(非公式推計)
「気持ちが昂ると、たま~にお客さんを溶かして食べちゃうんだよね。でもお客さんだってワタシと一緒になれて幸せだと思うよ。どうせ皆生きていても苦しいだけだもの。昨日来たお客さんなんて薬の後遺症で余命一週間だったんだって。内臓もドロドロでね、でも私が食べてあげたら最期は嬉しそうに笑ってたよ」
このインタビューの後、私はしばらくメモが取れなくなった。 彼女たちは搾取しているのか、それともされているのか。
「記者さんはここの連中を『かわいそう』って思ってるだろう。別にそれを悪く言うつもりはないよ。ただ、かわいそうかどうかは本人が決めることであって、他人が決める事じゃあないんだ」
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結語:帰還

Conclusion — Return to the Upper Tier
Fig.15 — 下層居住区。この街並みの中に数十万の人間と、数十種の宇宙種族が暮らしている。

下層居住区は「解決すべき問題」の集合体として語られることが多い。確かにそうだ。 衛生環境は劣悪で、治安は崩壊し、食品安全基準は存在せず、性風俗産業は法の隙間で漂っている。 だがそこに暮らす人々はそれを「問題」とは呼ばなかった。 彼らはそれを「日常」と呼んでいた。

私はこの記事を書きながら、自分の怒りが正しいものであると信じている。 だが同時に、それが何も変えないだろうという事もなんとなく誘ってしまった。。

この記事が掲載されても、おそらく何も変わらないだろう。 下層のガリガリは明日も壁を齧るだろうし、ドン・ファッツは明日も三千個のバーガーを売るだろうし、 ナイトレーンの灯りは明日も消えないだろう。 だが私はそれでもこの記事を書いた。書かなければならないと思ったからだ。 誰かがこの記事を読んで、何も変わらないとしても、知ることには意味がある。 ──と、上層のオフィスに座りながら書いている自分の滑稽さには気づいている。
チェン記者は本取材の功績により社内報道賞の最終候補にノミネートされました。 なお、取材経費の精算において「星間挽肉バーガー6クレジット」「歯科治療費2,400クレジット」の 領収書が提出されましたが、後者については現在経理部と協議中です。 また「取材協力費」として計上されたアロンソ氏への支払い額については、 金額の妥当性について経理部から疑義が呈されていますが、チェン記者は 「命の値段としては安い」と主張しています。